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私が行政書士となった理由~高い志や将来の展望などまったくなかった

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私が行政書士という仕事を始めてから、2019年7月時点で約12年半ほどになりました。

最近まで自分ではまだまだ新人行政書士だと思っていたのですが、早いものでいつの間にか支部の役職にも就き、何とかここまで仕事を続けております。

さて、私が行政書士という職業を選んだ理由を聞かれることも多々あるのですが、正直なところそれほど深く考えていたわけでも、高い志があったわけでもありません。

簡単にいえば、何となく『この仕事ならやっていけそうかな』といった程度のきっかけです。

世のため人のため、といった高い志をもって行政書士を目指している方、行政書士となった方に対しては、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ということで、そういった立派な志をもっている方は、このへんで読み飛ばしてください。ほんとにくだらない話で恐縮なので。

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中途半端な人生を送っていた若かりし頃~やがて後悔することに

私が20代のころは、職を転々としながら『何となく』バンド活動みたいなことをしていたという、いわば中途半端な人生を送っていましたね。

要は平凡な人生からの安易な逃避みたいなものです。

音楽で身を立てる自信も才能もないのは分かっていたのですが、他にやることもなく、単に惰性で続けていただけ。

社会の底辺でダラダラとくすぶっているだけの若かりしころでした。

親父のような働きづめの人生はまっぴらという反発心も

そして一番大きかったのは、父親の存在だったかもしれません。

わが家は父と私と弟という父子家庭でした。父は早朝から深夜まで仕事に明け暮れていたので、父に遊んでもらったりした記憶は数えるくらいしかありません。

そして思春期を迎えたころから『朝から晩まで仕事ばっかりの人生なんてまっぴら、親父のような人生は絶対に送りたくない』なんてことを考え始めてしまったのですね。

父親の急病と入院、そこで告げられた衝撃の言葉

そんないい加減な人生を何年も送っていたある日、とにかく病気などとはまったく無縁だった親父が倒れたという一報が入りました。

倒れた父親は即入院でしたが、そこで私が医師から告げられたのは衝撃の一言。

『末期の肺がん、余命は長くて3か月です』

もう目の前が真っ白で何も考えることができず、病院からの帰り道はただただ自分の人生を悔いて泣くことしかできなかったことを覚えています。

親不孝者の典型ですね。自分のふがいなさ、何一つ親孝行もできなかった後悔と懺悔ばかりが去来するばかり。

日を追うごとに弱っていく父親を看病しながら、ひたすら心の中で謝り続けていましたね。

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偶然目にした行政書士という言葉に惹かれ~猛勉強の始まりと父の死

わが家は父子家庭で弟とは遠く離れて暮らしていたので、私が仕事を定時で切り上げて入院先の病院に向かうという毎日でした。

そしてある日、仕事から帰る途中でどこかの資格予備校かどこかが出していたパンフレットが偶然目に留まりました。

そこに大きく書いてあったのが『行政書士』の4文字です。

思わず手に取って中身を読んでみると『法律系資格では比較的容易に取得でき、年収一千万円稼ぐ人もいる』なんてことが書いてあったと思います。

単なる偶然、ほんとに後先考えることなく『これだ!』とその足で書店に向かい、参考書やら何やらを買い込んでとにかく読み漁ってみたのです。

現実はそんなに甘くない~素人が簡単に理解できるものではなかった

ところが参考書などを読んでみたものの、もう何が何だか分からない言葉と理屈だらけ。

当たり前のことではありますが、法律をまったく学んだことがないばかりか、ロクに自己研鑽もせずにいい加減な生活を送ってきた私にとって、これは大変なことだと思い知らされましたね。

ただそこで心が折れなかったのは、やはり親父の存在があったからです。

仕事の行き帰りはもちろん、仕事のちょっとしたすき間時間、家にいるとき、病院で親父のところにいるときも、勉強漬けの毎日を続けていました。

たぶん、一日トータルで8時間以上は勉強してたのではないでしょうか。何しろお金がないので独学しか選択肢がありませんでした。仕事も父親の看病もありましたので大変ではありましたが。

覚悟はしていましたが~予想以上に早く訪れた父の死

そんな日々を送っていたある日、仕事中に病院から父が危篤状態になった知らせが入りました。

余命宣告を受けていたので覚悟はしていたものの、入院から約1か月ほどしか経っていなかったので、とにかく病院に着くまで『生きていてくれ』という願いだけでしたね。

何とか存命ではあったものの、もうすでに意識はなく延命措置という状態でした。

その夜がヤマということでその日は病院に泊まり込み、意識のない親父に対して猛勉強していることを報告しました。当然、もう意識のない親父は何も反応しません。

実はまだ親父と会話ができていたとき、何となく恥ずかしい気持ちもあって行政書士試験の勉強をしていることを何も言っていなかったのです。

そして翌日、父は静かに息を引き取りました。享年64。もう17年ほど前の話ですが、当時としてもちょっと早すぎる死ですかね。

私は喪主としてバタバタと動き回っていたせいか、悲しみに暮れる間もありませんでした。

ただ、少し時間が経ってから心にぽっかりと穴が開いたような感覚と、何も親孝行ができなかったことの後悔の念が次々と湧き上がってきました。

諦めかけていた行政書士試験の受験~父の死を乗り越えて

親父が亡くなったのは9月の末、葬儀は10月初めでした。そして目標としていた行政書士試験の実施日は10月末。

現在の行政書士試験は11月初旬に行われるようになりましたが、私が受験した当時の受験日は10月末だったのですよね。

一応、願書は提出して受験票も届いていたのですが、さすがに『もう今年は無理かな』というのが頭をよぎり、父の死を思うと勉強の手も止まってしまうような状態でした。

もう半分『抜け殻』状態ですね。

何となく父に問いかけてみる~どこからか声が聞こえた

そこで親父の祭壇に向かい、改めて親父の遺影に向かって何となく問いかけていました。どれくらい時間が経ったのか分かりません。3分だったか1時間だったのか。

不思議なことではあるのですが、そこで急に『やってみろ』と頭の中で声が聞こえたのですよね。それが親父の声だったかどうかは定かではないのですが。

そこから再度不眠不休の勉強スイッチが入りました。

何しろもう残された時間は2週間ほどしかありません。『無心』という心境になったのは、この時期が初めてでしたね。

普通なら緊張するはずが~やることはやった充実感ですっきり

そして試験当日を迎えます。

短い期間に様々な試練が訪れ、本来は不安と緊張で頭がいっぱいになるはずなのですが、なぜかこの日はまったくそんな思いを抱きませんでした。

むしろ『やることはすべてやり尽した。これで落ちたら仕方がない』という妙な自信というか、充実感があったのですよね。

もう受験する前から合格を確信していたような、本当に不思議な感覚でした。

見事に合格を勝ち取った~あの経験が今も生きている

結果、本当に合格してしまいました。

偶然とかまぐれという要素は確かにあるでしょう。合格するために必要と言われている勉強時間にはまったく至っていませんでしたし。

もし、自分の実力以上の力が発揮できたのだとすれば、それはきっと親父の後押しがあったからだと思います。

最初に行政書士試験を知ったパンフレットには騙されましたね

ちなみに、今となっては笑い話ですが、行政書士という仕事を知ったきっかけになったパンフレットに書かれていた内容には、ほんとに騙されましたね(笑)。

『法律の初学者でも比較的容易に合格できる』とか『年収一千万円稼ぐ人も多数』とか。

もっとも、資格予備校の宣伝パンフだったと思うので、受講生集めのためにかなり良いところだけを誇張した内容だったのだとは思います。

まあ、結果として行政書士となることができたので、ある意味感謝の気持ちはありますが。

予備校に通ったからといって容易に合格できる試験ではありませんし、売上ではなく個人収入で一千万円以上という人は・・・私が知る限りかなり少数派です。

それくらいの売上がある事務所はザラにありますけどね。あくまで経費など諸々抜いた個人所得の話です。

ちなみに、私自身はどれくらい稼いでいるかというと・・・とても公に堂々と言える数字ではありませんね(笑)。

まあ、それでも開業から12年半も何とか生き残ってきました。

一般的に起業しても10年続くのは一割程度とも言われていますから、一応頑張っている方なのではないでしょうか(笑)。

開業して大変な思いもしましたが~受験した頃に比べれば何てことはない!

行政書士試験に合格してからは、行政書士としての開業資金を捻出するためにお金を貯めたり経営の勉強などを経て、平成18年に開業しました。

正直、開業してから2年くらいの間というのは本当に大変でしたね。十分な融資も受けられず、もう事務所を畳むしかないかもしれない、という状況に陥ったことも数知れずです。

経営の難しさ、厳しさを思い知らされた時期でもあります。

ただ、自分が受験した頃の出来事や心境に比べれば、もう怖いものはないというか、ある意味で開き直って経営を続けてきたことがよかったのかな、とも感じています。

それでも、働き者だった親父に比べたらまだまだ努力は足りません。

若いころは働き者の親父に反発してばかりのバカなガキでしたが、今は男手ひとつで二人の息子を育て上げた親父の凄さや偉大さをひしひしと感じています。

いつになったら親父に追いつき、追い越せるかな。毎年、親父の死んだ年齢に近づいてはいるけれども、一生追い越せない存在なのかもしれませんね。